
承証寺について

本隆山承証寺(ほんりゅうざん じょうしょうじ)
法華宗(本門流)に属し、本山は京都本能寺。
天正17年(1589)、加賀藩士であった服部佐渡守が加賀藩初代藩主・前田利家に願い出て尾張町に寺地を拝領し、日種上人を開基として創建した。
後、古寺町(現・片町)を経て、元和2年(1616)頃に泉野寺町(現・寺町)の現在地に至る。
寺町寺院群に大きな被害を与えた享保18年(1733)の大火の際にも延焼を免れ、当時の趣を色濃く残す古寺である
寺内の鬼子母神に祀られている鬼面は、安宅浦の海中より浮かび上がったものとして秘蔵されてきたもので、霊験があるといわれている(※通常非公開 / 年に一度、2月の節分法要のときのみ参詣者に公開)。
また江戸時代初期の画家、俵屋宗達晩年の作とされる「萩に兎」が本堂板戸に残されている(※通常非公開 / 法要参詣者、寺院活動参加者は見学可能)。
境内には、幕末の元治の変(1864)に際して勤王の説を唱えて処刑された福岡惣助の墓などがある。
玄関前の手水鉢は、江戸時代の三大お家騒動の一つとして知られる加賀騒動で有名な大槻伝蔵ゆかりのものとされる。黒戸室石で作られており、大槻家の木瓜の紋がくりぬいてある。
寺町地区有数の長さの石塀には戸室石が使われ、赤色、青色、灰色などの複数の色づかいが特色となっている。戸室石は金沢市郊外の戸室山周辺で採掘される安山岩で、金沢城の石垣や兼六園の雁行橋など数々の名所にも使われている。

年間行事
2月 節分会(鬼面公開)
3月 春彼岸
7月13日~16日 お盆
9月 秋彼岸
10月 宗祖御会式










法華経について
法華経の正式名称は『妙法蓮華経』といい、
「妙法・蓮華経」=「深遠なる真実の教えである蓮華経」という意味です。
法華経はインドから中国を経由して日本に伝わりました。
鎌倉時代、日蓮聖人は法華経を唯一よりどころの経典とし、法華経に帰依(南無)することを表す
お題目、すなわち「南無妙法蓮華経」と唱えることが、人々を救う力となり、自らが成仏するための種子(たね)となるとの教えを開かれました。
法華経は二十八品(ほん:章に相当)からなっていますが、大別して前半十四品を迹門(しゃくもん)、後半十四品を本門(ほんもん)とし、これを本迹二門といいます。
法華宗(本門流)では、本門のうち、第十五から第二十二までの八品を御本尊としています。
日々のおつとめでは御本尊を尊び、必ず「本門八品(ほんもんはっぽん) 上行所伝(じょうぎょうしょでん) 本因下種(ほんにんげしゅ) の南無妙法蓮華経」と唱えます。